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中国茶の歴史についてまとめてみる
- 2013/11/12(火) 22:18:51
以前に中国で買ってきた中国茶の本を読んでツイートしたことがあって、それなりにまとまっていたのですが、いつツイートしたものか分からずそのままになってました。
このたびtwitter公式で過去ツイートのダウンロードができるようになったようなので、掘り返してみたところ2012年の1月だったようです。
せっかくなのでここで抜き書き。本を読みながらのツイートなので断片的ですがご容赦を。
読む本は『中国古代茶文化研究』 第一章が茶樹起源なんだけど、白亜紀がどうとかジュラ期がどうとか文化と関係ないだろ。
※本は黄仲先氏の著、2010年に中国の科学出版社から出ています。
ググってみると神田の東方書店さんでも取り扱いがあるようです。
雲南において茶祖は神農ではなく諸葛亮。南征の際、桃花江を渡ろうとして将兵が瘴気にあたり、それを現地人が差し出してくれたお茶で治したのだとか。以来、茶樹を孔明樹といい、茶山を孔明山という。また孔明の誕生日である7月23日には茶祖会を行って祀る。
前漢の段階で蜀と湖南地方では茶の栽培が行われていた。なお、蜀の人は茶を葭萌という。
最初期のお茶は薬であり、司馬相如の薬品リストにも登場する。三国時代になると巴や荊の地では茶を摘んで米と一緒に餅にし、これを赤くなるまで炙り、搗き潰して器に入れ、お湯を入れてネギ生姜その他を加えて飲んだ。酔い醒ましになり、また徹夜に効いたらしい。これに似たのが打油茶として現存する。
(2011年の)三国志フェスで再現された擂茶は馬援が遠征した際に将兵が病にかかり、地元民から差し出された。馬援は「此何神物?」と尋ねたとか。地元民曰わく秦代から伝わるもので五味湯というらしい。材料は生麦生米生茶ほか5種。辞書が無いんで訳せない…
材料のもう一つは塩だ。あと一つはやっぱり訳せない。見たことあるのに…
打油茶は茶を油と塩で炒め、油が飛んだら水を加えてさらにゴマやトウモロコシなどを加えたもの。先の三国時代のものと似てる気があまりしないんだけど…
飲茶が初めて登場するのは張載の『登成都楼』という詩。西晋の人なのに本文には漢代とある。三国志ヲタ的には大事なとこなんで間違えんな。
茶を煮るという記述は前漢にある。晋代の『爾雅』にもあるんで晋代にも同様の飲み方というか食べ方をされていたらしい。三国時代の茶で餅を作る記述は『広雅』にある。
蜀の茶が荊楚に伝わったのは『春秋左氏伝』の昭公13年に記載された楚と巴の通婚の時だろうと。
華佗の『食論』にもお茶は体に良いとある。
長沙馬王堆漢墓から飲茶と見られる絵が見つかった。また、副葬品に茶があった。
『呉書』韋曜伝に酒席でお茶を出された記述。これは有名。
西晋の頃、武陵はお茶の一大産地になっていて、最も良いお茶がとれた。 これにて唐より前の話は終わり。唐以降はまた興味が湧けば拾い読みしてみよう。
中国茶って詳しい人がかなりいらっしゃるのになぜかあまり情報がまとまってないような気がします。
だれか本にまとめていただけないもんでしょうか?
(さんがつ)
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