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阿斗という名前
- 2012/03/23(金) 23:17:57
阿斗といえば三国志好きなら誰でも知っている劉禅の幼名で、馬鹿の代名詞とされています。
そこまで忌み嫌われた名前ならもう誰も使うまい、と思っていたら洛陽に阿斗城があったのを見つけました。
三国志の魏の明帝の代に洛陽の西北部に金墉城を築いたのですが、これが北魏の頃に拡張され、洛陽小城と阿斗城が築かれました。その場所に今でも阿斗坆という地名が残っています。
※本によっては金墉城そのものの異称が阿斗城だとしていますが、よく分かりません。
いったい北魏はどういう理由で阿斗という名前をつけたんでしょう?
「阿」には寄り添うという意味もありますので、斗城に寄りそうものという意味があった可能性は考えられますが、斗城といえば普通は長安を連想します。
あるいは北魏の武人、賀抜岳の字の阿斗泥と何か関係があるんでしょうか?
非常に可能性は薄いのですが、劉禅は蜀が降伏した後、洛陽で余生を過ごしました。もしかしたら本当に劉禅と関係があったりするのかもしれません。
もっとも、劉禅の住まいは洛陽の西北ではなく、東にありました。
逆に、劉禅とまったく関係ないとすると、北魏の頃にはまだ劉禅=馬鹿という認識はあまり無かったor知られていなかったのかもしれませんね。
謎のまま投げっぱなしですが、そのうち何か分かれば追記します。
(さんがつ)
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